原産地

北・東ヨーロッパからトルコ高原にかけてとされています。

日本、長崎県への伝来

日本へは江戸時代以前から度々渡来していたといわれていますが、はくさいの強い交雑性により品種の保存ができませんでした。明治初期に中国(清国)から愛知県、茨城県、宮城県等に導入された品種はその後さらに改良が重ねられ、日清、日露戦争後の経済発展により需要が急増しました。
長崎県へは、中国より伝わり、江戸時代の1797年には半結球タイプの唐菜とよばれる長崎白菜(唐人菜)が作られていました(長崎聞見録)。本格的栽培は明治10年頃から始まり、以降県内に広まりました。

主要産地の推移

明治時代に長崎市で栽培がなされ、大正時代に辻田白菜が導入されると、長与町や長崎市、県北地域を中心に拡大しました。昭和時代(戦後)に優良系統の育種が進み、さらに県内に広がりました。昭和41年には松浦・田平産地の秋冬はくさいが県内初の指定産地品目となりました。
現在は、春はくさいと秋冬はくさいの産地が形成され、島原市、南島原市を中心とする島原半島地域が約6割を占めています。
特に春はくさいは、栽培面積176ha、生産量13,600tであり、ともに茨城県、長野県に次ぐ全国第3位(H22統調)となっており、全国有数の主要産地となっています。

機能性

食物繊維が多く含まれており、便秘の改善や高脂血症や糖尿病の予防に役立ちます。また、ナトリウムの排泄を促すカリウムが豊富に含まれており、血圧を下げる効果があります。
グルコシノレートという辛み成分が含まれており、肝臓の解毒作用を活性化してガンを予防します。
イソチオシアネートは、発ガン物質を抑制したり、動脈硬化を予防する効果があります。

長崎白菜(唐人菜)

別名「唐人菜」として知られる
長崎白菜は中国山東省から伝
来したといわれています。
他のはくさいと比べて葉が巻
かず、外開きになるのが特徴で
す。葉の色は黄色がかった緑色
で、しわが入っています。明治・大正期には、長崎市の中川、鳴滝、片渕、立山、御船蔵など、ごく近郊で作られていたものが次第に周辺地域に広まり、山手の奥まった冷気の早い西山、木場一体では黄葉の早生種が、やや低地の年明け晩出しには黒葉の晩生種が分布しています。
長崎白菜は半結球タイプのはくさいで、現在の結球タイプのはくさいとは異なります。
早生種は、外葉は淡緑色で縮みが多く、葉柄は広くやや短いです。草姿は半結球型で晩秋の冷気とともに中心の数葉が黄白色となり、軽く抱合します。葉質はきわめて柔らかく耐寒性は弱いため、主に年内どりとします。播種の最適期は9月上中旬です。
一方、晩生種は光沢のある濃緑色、縮緬状のシワが顕著で、葉・葉柄ともに大きく、成長すると心部は緩く結球します。耐寒性は非常に強く、抽苔も遅いので、1~2月の収穫が可能です。
早生種、晩生種とも柔らかいので、本葉4~5枚ごろより間引きして、浅漬け、おひたし、油炒めにしてもおいしく味わえます。

辻田白菜

現在のはくさいは、葉が巻いているのが普通ですが、大正の始めまでは、中国の品種にしか葉が巻く「結球はくさい」類はありませんでした。そこで、辻田長次郎という人が中国の品種からやや早生で品質が優れ、結球率の高い系統を選び抜き、育成したものが「辻田白菜」です。当時のはくさいとしては大型で、丸く結球し葉肉が厚いのが特徴です。漬物や中華料理、煮物などに使われ、戦前戦後にかけて全国を風靡しました。現在、西山木場地区で生産されています。

播種の様子

定植の様子

収穫の様子

断面図

※参考文献
・「長崎県農林産物の伝来と歩み」平成25年3月
 長崎県農林技術開発センター
長崎市ながさきの食推進室

※写真提供:長崎市経済局水産農林部ながさきの食推進室
※取材協力:JA島原雲仙

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