たまねぎの原産地は、中央アジアから地中海沿岸とされています。栽培の歴史は古く、古代エジプトやメソポタミア文明で始まったといわれています。ヨーロッパには早くから伝わり、肉料理に合ったことから16世紀頃にはヨーロッパ各地に広がりました。
日本には、江戸時代にオランダ人が長崎に持ち込んだのが最初です。ただ、その頃は、ねぎが普及していたため、たまねぎは定着しませんでした。実際に定着したのは、アメリカから導入された品種が北海道で栽培に成功した明治時代以降です。たまねぎの消費は、戦後、食生活の洋風化にともない大幅に拡大しました。
食用たまねぎは、1871年に北海道の札幌での試験栽培が最初と言われています。資料などで確認できる確実なところでは、明治政府が1872年にたまねぎの種子を導入したのが初めてと言われており、1880年頃から北海道で試作され、1982~1983年には採種できるようになり定着しました。本州では大阪で1886年頃から栽培されました。
長崎県において、確実にたまねぎと確認できるものとして、まとまった栽培が始まったのは1901年からです。北高来郡長田村(現諫早市長田町)で、進農会会長の古川善作、松竹甚作、高原為一、山口藤七、山口文六、松尾久作、山口次七氏の7人が栽培を行ったものです。
たまねぎとして、わたしたちが食べているのは葉だといわれても、ピンとこないかもしれません。たまねぎを縦半分に切ってみると、一番下のところに少し芯があるのがわかります。これが茎で、そこから重なり合うように玉を形づくっているのが葉で、食用の部分です。春先に出まわる葉たまねぎは、成長過程を葉つきのまま収穫したもので、長ねぎの代用にも使われます。
たまねぎは原産地が乾燥地帯だったことから、きびしい自然に耐えるために、葉に養分を蓄え、重なり合って丸く成長するようになったといわれています。
たまねぎには、一般によく出回っている黄たまねぎのほか、生食用の紫たまねぎや白たまねぎ、黄たまねぎの生長を抑えながら育てられたペコロスとよばれるミニたまねぎがあります。
たまねぎの英語名「onion」は、ラテン語で真珠を意味する「unio」に由来します。真珠のように層を重ねながら丸く成長し、神秘的なパワーを持つと信じられたことから名づけられたそうです。
たまねぎの調理に涙はつきものですが、これは、たまねぎやにんにく独特の臭みや辛味成分でもある硫化アリルの一種、アリインが原因です。アリイン自身は無臭で、いつもはたまねぎの細胞の中にしまわれているのですが、別の細胞の中にあるアリナーゼという酵素と出会うと、分解されてアリシンという、強い臭気で揮発性のある催涙物質に変わります。
包丁で切ったり、虫がかじったりして、たまねぎの細胞が破られると、アリシンができるというわけです。たまねぎにとっては自分を守る大事なしくみといえます。
涙を出にくくするには、催涙物質が揮発しにくいように、たまねぎを冷やしておくのが得策。また用途にもよりますが、横に切るより縦に切った方が、細胞を壊す度合いが少なくなります。
たまねぎの独特のにおいは、主に硫化アリルです。この独特のにおいは、交感神経を刺激して体温を上昇させます。体温の上昇は、風邪のウイルスを退治するマクロファージが活発になることから風邪の予防になり、また、脂肪の燃焼も促進させます。さらに、殺菌作用があることもわかっています。
最近、たまねぎが血液をサラサラにするといわれていますが、それは硫化アリルの一種であるプロピルメチルジスルフィドによるものです。プロピルメチルジスルフィドは、コレステロールの代謝促進や血栓予防に効果があるので、動脈硬化の予防になるといわれています。プロピルメチルジスルフィドを十分に摂取するためには、たまねぎを切った後、そのもとであるオチプロパナールに酵素が働く時間を与えるため30分程度そのままにします。このオチプロパナールは水に溶けてしまうので、水にさらさないようにすることが重要です。
さらに、たまねぎにはケルセチンというフラボノイド色素の一種が含まれています。このケルセチンは抗酸化作用があるので、発ガンの抑制や動脈硬化の予防をする働きがあると考えられています。
ケルセチンは外皮に近い方がより豊富に含まれていますので、調理の時はあまり皮をむきすぎないほうがいいでしょう。