九州の西端、美しく複雑な海岸線を持つ半島や離島からなる長崎県で、肥育を目的として生産された和牛の総称です。
長崎県における和牛の歴史は大変古く、壱岐(原の辻遺跡)や五島(大浜遺跡)などから2,200~2,300年前の弥生時代の牛骨や牛歯が発見されています。
また、鎌倉時代末期に記された国産牛の図説である「国牛十図」と南北朝時代に記された「駿牛絵詞」には、産牛地十国の一つとして、筑紫牛(壱岐牛)、御厨牛(平戸牛)が取り上げられています。
筑紫牛は「姿良く、本来は壱岐島の産である。元寇の際に元軍のいけにえとされたために一時少なくなったが、近年また多くなってきた。」と、御厨牛は「肥前国御厨の産で、逞しい牛である。もともと貢牛であったところからの呼称で中古の名牛の産地であった。西園寺公経から朝絵の印を許可された。」と記述されており、当代の良牛として賞されています。
さらには、長崎県は地理的な面から朝鮮との交流が盛んで、中世から近世を通じて朝鮮牛が島づたいに渡来し定着したとも言われており、長崎が和牛のルーツかもしれないと考えられています。
また、1862年には英国人トーマス・グラバーらによって、長崎市内に日本初の解牛場(うしときば)が設置され、出島では古くから牛肉料理が食されるなど、長崎県と和牛のつながりは歴史的に大変深いものがあります。
『産出額の3割を占める重要な作目 肉用牛は第1位』
長崎県の農業の中で、畜産は、農業産出額の30%を占める基幹的作目であり、特に肉用牛は、第1位の産出額で、離島・半島地域の農業振興に不可欠な作目となっています。
長崎県の肉用牛(繁殖・肥育)飼養戸数は3,630戸(前年比:94.8%)飼養頭数は88,100頭(前年比:96.6%)、長崎県内の1戸あたりの飼養頭数は24.3頭(前年比:102.1%)となっています。(平成22年度現在)
飼養戸数は減少傾向にあります。生産者の高齢による廃業が主な原因ですが、1戸あたりの飼養頭数が増加しているので、飼養頭数は、ほぼ横ばいで推移しています。
「黒毛和種」「褐毛和種」「日本短角種」「無角和種」の4品種を和牛と言います。日本古来の在来牛を改良したもの。中でも黒毛和種は、肉質が最も良い肉です。
和牛肉は値段がやや高め。それには理由があります。和牛は育てる期間が長く、手間も掛かります。その分、品質が良く、まろやかな味わい。霜降りが多く、赤身に含まれるうま味成分が多いのも特徴です。
和牛以外の国産牛は乳牛であるホルスタイン種(主に雄牛)や、和牛とホルスタイン種を掛け合わせた交雑種などがあります。和牛に比べると霜降りは少なめですが、価格はお手頃。どちらも国内で生産者が大切に育てた牛に変わりはありません。
県内で肥育を目的として生産された和牛が「長崎和牛」です。
「長崎和牛」のなかでも、4 等級以上については「ながさき牛」として公正取引委員会の承認を得ています。
「長崎和牛」と「ながさき牛」の区分
牛1頭ごとに付けられた個体識別番号を検索することによって、農場にいる牛や、小売店や料理店などで販売・提供されている牛肉が、いつ、どこで生まれ育ち、と畜されたのか、という履歴を追跡することができます。
この個体識別番号によって、牛の性別や種別、肉用牛の場合は肥育を経て、と畜、解体処理の方法までが、データベースによって記録されます。
肉になっても同じ番号
枝肉→部分肉→精肉へと加工される過程から、消費者のもとに届けられるまで、この個体識別番号で管理されています。つまり、牛肉の生産・流通過程をすべてたどることができるようになっています。
このことから消費者は、牛肉のトレーサビリティ(生産・流通の履歴情報の把握)が可能となり、牛肉に対する信頼が高まることとなっています。
平成24年10月、長崎県で第10回全国和牛能力共進会が開かれ、「肉牛の部」で長崎和牛が日本一に輝きました。この大会は5年に1回開催され、“和牛のオリンピック”とも言われています。
「種牛の部」(1~7区)と「肉牛の部」(8、9区)の全9区があり、長崎県代表の牛が日本一を獲得したのは「肉牛の部」の8区。8区は父親が同じ肥育牛3頭の肉質などを評価します。さらに「種牛の部」と「肉牛の部」で1位になった牛の中から、それぞれのトップを選ぶ「内閣総理大臣賞」も受賞。長崎和牛は特に肉質の点で高い評価を得ました。